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久々に自分のブログを書きました。

 

誤解されたくないので冒頭に書きますが、これはネガではなくて、どうしても起こり得る課題を自分の中でどのように消化しようかな〜と考えてみました、という話です。

 

 

現在私の在籍する会社はとてもありがたいことに事業・人員ともに急拡大をしています。「スタートアップ30人・50人の壁」という様式美のような事象も他人事ではなく、人員が増えたことによる悩みも顕在化しているところです。

 

人によりモチベーションや覚悟の度合いが違うこと(良し悪しではなくそれぞれ生活環境や経験が異なるという話)はもとより、何を正とするか、どのような意思決定や行動が評価される文化なのか、今の状態が良いのか悪いのか、業務の重さのコントラスト等々、各所で色々な意見を耳にするようになりました。

 

ミクロ的な幸せ(従業員それぞれの満足や成長)もマクロ的な幸せ(企業や業界の成長)も両方もちろん大切で、今ちょうどそのあたりがギシギシしている肌触りがあって、忍耐であったり、冷静に俯瞰して物事を見る余裕を自らつくりだすことであったり、試される場面が多いなあと感じています。

 

自分がそういう時に思い出すのはやはり入社を決める時に考えていたことで、今この事業に携われることの嬉しさであったり、自分が選んだ企業の成長過程や上層部の意思決定を内部で見られることであったり、以前のオフィスで描いていた将来のイメージであったり、今現在キリキリしている人から見たら悠長なことかもしれませんが、割と大切なことというか、そこを思い出さないでじゃあ何でお前はここにいるんだという感じなので、パソコンを見すぎて目が痛くなったら、遠くの景色を見るようにしています。渋谷の喧騒に疲れたら二子玉とかに行ったりするのと同じです。あまり行ったことはないですが.....(自分がキリキリしていないかというとそうではないですが、ここでは重要ではないので置いておくとします。)

 

 

企業としての優先順位はちゃんと経営陣が判断するし(任せるという過程ではなく信頼するという過程で)、それでも一度に全て着手できるわけではないし、それ以上に自分たちの想像が及ばないところまで考慮した上での判断が殆どだろうし、それでも不安や言いたいことがあれば近くにいるんだから自分から相談すればいいし、全部対応してくれるかといったらそれはまた別の話ですが、なんというか今後何年も何十年も(?)続いていくであろう会社の歴史を眺めて、今は何が企業の行動として大事だとされているのか日々の流れを見て、じゃあ次はどこに着手しようかなと自分なりに考えていく方が建設的だなと思っています。

 

もちろんそれどころじゃない人もいますし、その上でクリティカルとなるであろう課題や問題は然るべき人が把握しなければならないし、伝えなければ検討すらされないので、それなら黙っていないでさっさと言えばいいと思いま寿司、すぐに解決されるとは思いませんが、察してくれよと待っていたら多分永遠に気付かれないですし、言われないものはそんなに重要じゃないんだなと判断されることもあると思います。

 

ポジショントークという前提もありつつ、何でもかんでも言えば通るってものでもないですし、企業としての器がある以上、正誤判断は声を出した人だけがするものでもないですし、匙加減って難しいですねというのが最近のざっくりとした所感です。この辺に関しては書いてスッキリ自己満足なので、取り立て誰に賛同を得ても誰に酷評されても正直あまり興味はないです。

 

 

 

全ての課題や問題が一瞬で解決するわけではなく、じゃあ着手できないその期間はどのように過ごすのか、耐えながら次の一手をどこに打つのか、自分は何がどのようになれば満足なのか、考えたところで結論が出ない場合もありますが、目の前の事象に右往左往するだけでは物事が動いた時に受け身となってしまうと知っているので、自分はこういったことを意識するのが習慣となりました。文章にすると意識高いっぽくてヤバいですね.....。ヤバイTシャツ屋さん - 「ヤバみ」Music Video - YouTube

 

 

 

ムリヤリまとめると、待つだけじゃなくて、自分で戦略を考えて伏線や仕掛けを施して、それはすぐに効果は出ないかもしれないけど、手を動かし続けて頑張ろうねというのが私の大まかな結論です。

 

 

なんかだいぶ当たり前っぽいことになってしまいましたが、来週もがんばっていきたいと思います💪

 

 

おわり

 

スージー (@I_am_suzy) | Twitter

5_記事ログ

前の会社で書いた記事(消されてる)のログを拾ってはストックしていきます

 

 

「スタートアップ」と彼らを取り巻く投資家。村田、有安、中西が語る、その魅力と現状

 

https://www.google.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/12310687/

 

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12310685/

 

 

メルカリCEO山田氏が語る「US躍進の理由」、サービスで繋がる「適正価格」以外の価値

 

http://news.ameba.jp/20161128-113/

 

http://www.mapion.co.jp/smp/news/itnews/mdndi50978-all/

 

 

サービス×デザインが目を引くファイナリスト企業、「難しいもの」を「分かりやすく」するテクノロジー

 

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12348411/

 

 

 

 

 

モチベーションの話。

 

地元の大学に入学して一人暮らしを始めた時から去年退職するまでの約9年間、私は実家に帰らなかった。理由は簡単で、親とはどうしてもソリが合わないからだ。

 

父親は良く言えば職人気質の自営業。学は皆無中の皆無。酒が好きでテレビのニュースを見ながら「アイツはバカだ」「アイツはクズだ」とよく人を蔑んでいた。

自分がそうされてきたからか、言うことを聞かせるにはまず暴力、そういう人だった。私は幼稚園くらいの時に真冬の寒空の下、風呂上がりの下着姿で外に締め出されたし、玄関の前で号泣しながら「入れて下さい」「ごめんなさい」とよく土下座していた。

 

小学校の時にはランドセルが気に入らない場所に置いてあったということで中身ごと家の裏の川に流されたし、よく分からない生き物がウジャウジャいる川に必死になって教科書を掻き集めに行った。テストで100点を取れば取る度に嫌味を言われたし、髪の毛を鷲掴みにされて柱に打ち付けられて軽く脳震盪を起こしたこともあった。その時は刃渡り1mはあるであろうノコギリを首に当てられた。あれは何用だったのだろう。

 

中学ではついに戸籍を抜くと言われ、よく分からなかったが「それはちょっとマズイ気がする」と本能的に悟ってまた土下座した。

 

稼ぐ能力も無く、隣の家まで1キロもある田舎で外の世界も知らない私には、父親が絶対的な存在だった。

 

そういう訳で私は親を信頼していなかったし、同じ道を辿りたくなかったし、一度足りとも自分の進路を親に相談した事もなく、就職の時も引っ越しが決まるまで何一つコンタクトを取らなかった。

 

 

ただ一つ後悔しているのは大学受験で進路を決めようとしていたまさにそのタイミングの時。ずっと静岡から出て名古屋、もしくは東京に出ようと考えていたのだが、それを知ってか知らずか「県外に出るなら支援はしない」という宣告を受けた。

 

私は自分一人の稼ぎでやっていく自信が無く、説得の余地も無い親の言うことを聞いてしまった。何の勝算も無く社会に女が一人投げ込まれるのは、18歳の私には恐怖でしかなかったし、それなら地元でそこそこの公立大にでも入った方が明るいのではと思ってしまった。

 

実際学費は奨学金、生活費はアルバイトでギリギリ賄っていたし、今思い出しても月に支援してもらっていた4万円が無ければ多分生きてはいなかった。

 

 

 

何の刺激も無く、ただ「普通になること」を目標にしていた大学4年間は、案の定今になって差になって響いているし、私はその差を必死になって埋めようとしている。去年退職して一度だけ帰省した時に「次は東京に行く」とうっかり言ってしまって猛烈に反対されたこともあったが、もう怖いとは思わなかった。

 

 

「後悔しない選択をすること」、私が迷った時はこれを一番の指針にしている。よく人生を妥協しているような人からは「いつも全力だね!」「アツいね!」なんて言われるが、本当に理解できない。死ぬ時に「あーやりきった」って思いたくないんだろうか。ないんだろうな。

 

どれだけやっても世の中にはもっとやっている人がごまんといるし、身近な人にさえも全然追いつけないし、悔しくて辛い気持ちはいつもあって、それでも死ぬ時に「もう少しやっておけば良かった」って後悔したくないというモチベーションだけでまだ続けていて、気付けば28歳を目前にしている。

 

自分は進んでいるのか、もっと効率の良い方法があるんじゃないか、いつも気になりながらもとりあえず目の前にある「わからないこと」を一つずつ潰すしかなくて、自分が何をしたいのかも分からないまま手を動かしている。

 

 

話を戻すが、親には感謝していることが2つだけある。

1つは親戚のツテからPCを私に買い与えてくれたこと。

もう1つは物の価値を教えてくれたこと。

 

お金が無い中でどうしてもパソコンが欲しいと頼み込んだ中学生の私は、windows98がインストールされたデスクトップのPCを自室に置き、見よう見まねで素材サイトやイラストサイト、ブログサイトなど幾つかのWEBページを作成し、居場所をそこに見つけた。

今では使い物にならないものの、簡単なタグやリンクの概念、アフィリエイトの存在やFTPやサーバといった(非常に上辺の)仕組みはそこで覚えたし、どうすれば訪問者がリンクを踏んでくれるか、どこにボタンを配置すれば押しやすいか、そういったことを考えるのが楽しかった。絵を描くのが好きで、少ないお年玉で型落ちの小さいペンタブを買い、付属のフォトショもろくに使いこなせないくせによく絵を書いていた。お陰様で黒歴史のようなサイトを量産していたが、先日思い出して確認したらサーバごと消え失せていたのでほっとした。

 

家には良く父親の知人である画家や画廊の人が出入りしていた。中には手荷物から2つの湯のみを机に並べ、「この2つ、どっちが高いと思う?」なんて小学生の私に質問をしてくるおじさんもいた。ピンクの小さい花が描かれてるものと、赤い大ぶりな花が描かれている湯のみを何秒か見つめ、高級感を感じた赤い方を選んだら「おお!正解!すごいね!」と言われるのが嬉しくて調子に乗ったりもした。家を出るまでの18年間、いくつもの美術館や画廊に連れて行かれた私は、それなりに「値が付くもの」が分かるようになったと思う。

 

 

暴力主義の父親だったが、美術の話をする時だけは凄く楽しそうだった。楽しそうだったというと死んだみたいだがまだ一応生きているし(多分)、だからこそ私も仕事に固執してしまうのかもしれない。仕事は人を壊しもするし、生かしもすると叩き込まれているから、尚のこと慎重になったりもする。

 

正直自分を毎日のように殴ってた親を大事にしようなんて簡単にシフトできないし、本当は仲良くしていたかっただけなのに、と複雑な気持ちを思い出す時もある。親が本当に死ぬ間際になって「勝ったからな!」って言いたいだけなのかもしれない。その時は多分、私は一切泣けないんだろうなとも思うし、結婚式に呼びたいなんて考えたこともない。

 

 

こう言っても共感は得にくいし、私も別に同情を引きたい訳ではないし特段誰かに話すようなこともない。どういう環境でも「今の技量」が正だし、言い訳にするのも格好悪いだけで豚の餌にもならない。

 

ただ目の前の人に勝てないのが悔しくて、死ぬ時に後悔するのも絶対に嫌だから、私はどれだけ「お前なんて使えない」って言われてその通りでもやめられないし、そういう部分を形成したのは親なんだろうな、と思ってまた複雑な気持ちになる。

 

そしてたまに沈殿していたものを掻き起こされて思い出すこういう気持ちは、もしかしたら自分の財産なのかもしれないと思っている。

 

 

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2ヶ月が経ちました。

 

東京へ引っ越して2ヶ月が過ぎました。

まだ荷ほどきも終わっていないし、部屋も人が呼べる状態ではありません。

炊飯器は引っ越し直前に壊れたままで、未だにルクルーゼで炊いています。

 

新卒で入社した地元のIT企業を諸事情で退職してから約10ヶ月、私は転職先を探しながら地元のケーキ屋で社員をしていました。たったの10ヶ月、でもそれは自分にとってとてつもなく長い時間で、毎日毎日「絶対ここから抜け出してやる」と一人意気込みながら過ぎていく1ヶ月はとても心許なく、何度も心が折れそうになりました。

 

給料は家賃でギリギリ。朝7時や9時に出勤して更衣室を出るのが深夜の0時1時。

幸か不幸か毎日が初売りのような、繁忙期のディズニーのような活気のある店舗での勤務は体力の無い私にとってすごく過酷で、それでも少し気を抜けばクレームに繋がる上に、商品はナマモノ。どれだけ気を擦り減らしても足りないような日々でした。

 

 

 

当たり前なんですけど、1ヶ月経つと少し季節が変わるんです。

その季節の微妙な変化を感じる度にまた心が折れそうになって、何度も辞めてやろうと思いました。それでも続けた理由は幾つかありますが、まずは実家に戻れないこと、そして静岡の山奥地にある実家に戻ると都内への転職がより難しくなるのではと考えたことが主な理由です。親に頼れない状態で仕事を辞めることは、自分の目標、理想、人生そのものから遠ざかる事に直結していました。

 

試用期間の4ヶ月が過ぎ、社員の仕事を覚えながら繁忙期のクリスマスを終えた頃、ようやく転職活動を再開できる兆しが見え、今の会社に採用していただきました。

 

陶芸家の娘として生まれた私は小さな頃からデザイナーに憧れ、それでも自費では県外の大学はもとより、地元の公立芸大の文系学科(安い)に通うのが精一杯で、ついにその技術も知識も得られないまま就職し、営業だと思っていた配属はいつの間にかプログラマーという名前に変わっていました。

 

幾つかのシステムを担当したものの、そのスキルは決して他社で通用するものではなかったと思います。それでもモノをつくる仕事に携わっているのが誇らしくて、私は当時の仕事が好きでした。

 

今の会社を受けた時、ポートフォリオの代わりに当時自分で書いたVBAソースコードを出力して持って行き、自分の展望についてプレゼンをしました。ケーキ屋の仕事をしながら転職活動をしていた時期は、冗談ではなく「死ぬのが先か、転職が決まるのが先か」という状態で、面接会場の会議室から見える景色を目に焼き付けながら「絶対にここで働いてやる」と思ったことを覚えています。

 

あれから4ヶ月が経ちました。

人に会ったりライブに来たり、毎月のように通い詰めた場所に住んでいて、今ではまた違う目標を持って勉強をしています。たった1ヶ月で季節は変わるし、1ヶ月前とは状況も持っている知識も変わっているのが楽しくて、引っ越してから今日までの2ヶ月は時間とお金の許す限り色々な事に手を出しました。そこで触れたもの、見たもの、知ったもの、出会った人の多くが最高で、その度に感動して泣きそうにもなっています。

 

まだ2ヶ月。散々怖い目にも不安な目にも遭っているので、もう「あとはやるだけ」という気持ちしかありません(契約を切られないかだけは本当に不安です)。

どうせ色々な事に太刀打ちできないのも分かっているので、ガンガンぶつかってザクザク学んでいけるといいなと思います。

 

 

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